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ソーシャルメディア上のやりとりは「変数」を交換しているに過ぎない【茂木健一郎の言葉とコミュニケーション】

ソーシャルメディア上のやりとりは「変数」を交換しているに過ぎない【茂木健一郎の言葉とコミュニケーション】

連載「言葉とコミュニケーション」第21回で取り上げるのはソーシャルメディアです。インターネット上のやりとりではなぜ、人と人とが簡単にぶつかり合い、炎上、誹謗(ひぼう)中傷などが起きやすいのでしょうか。

SNSが私たちを失望させ続ける理由

現代人の経験するコミュニケーションのうち、ツイッターやフェイスブック、インスタグラムなどのSNSを経由するものの割合は、かなり大きくなっている。

インターネットは、時間や場所の制約を超えて、不特定多数の人とやりとりすることができるツールである。便利であると同時に、炎上や心のぶつかり合い、時には誹謗(ひぼう)中傷など、さまざまなリスクを伴う。

ネットの黎明(れいめい)期には、人々はより開かれた、進んだコミュニケーションに進むものと期待された。ところが、現実のSNS上のやり取りは、私たちをがっかりさせるものであることも多い。

SNSは、人間性を向上させるよりは、むしろ堕落させているようにも見える。

なぜ、SNSは私たちを失望させるのか?

その大きな要因の一つは、SNS上ではほとんど議論が不可能なことにあるのではないだろうか?異なる意見の人たちが、言葉をやりとりしても、そのことによってお互いに有益な討論ができるということがほとんどない。それぞれの人が自分の意見に固執し、主張し合って、それでおしまい。

それどころか、自分と同じ意見の人たちが集まって、リツイートしたり、イイねをしたりするいわゆる「エコーチェンバー」の中に閉じこもってしまう。その中では、永久に、自分の、あるいは自分と同じ意見に耳を傾けている。

これでは、SNSが「思想の自由市場」にはならない。人類は進化しない。むしろクラスターに分裂したまま、ひとまとまりにならずにバラバラである。

お互いに言いっぱなしで、すれ違いが続く。そんなSNS上のやり取りに、失望している人は多いのではないかと思う。

人の素質や経験などが決める脳内の「変数」とは

なぜ、SNSでは、お互いに異なる意見に真摯(しんし)に耳を傾けたり、腹を割って話したりというようなことができにくいのか?

顔と顔を見合わせて話しているときには存在する「身体性」がないことが、一つの要因であることは確かである。夜、たき火を囲んで話しているときのような、身体性と感情の回路を深堀りするようなコミュニケーションは、SNSでは存在し得ない。

加えて、私たちが、SNSでの議論の可能性について、非現実的な期待を抱いていることも事実だと思う。

人間は変わらない。SNSでのテキストのやり取りごときでは別の人にはならない。そもそも、科学的な立場としては、人間には「自由意志」がないのだ。自由意志は幻想に過ぎず、実際には脳内の神経回路の動作によって私たちの行動や考えは決まっている。

私たちは、自分の意見は、自分で考えた結果選んでいると思っている。さまざまな社会問題についての自分の意見は、自分の感性や直観に基づき、それなりの思考過程を通して、選んだものだと自負している。

しかし、実際にはそんなことはない。

私たちには、自分の意見を選ぶ自由などないのだ。それぞれの持って生まれた資質、育った環境、出会ってきた人々、普段の仕事や生活、目にする情報、「自分」を構成する、さまざまな変数(パラメータ)によって、自分の脳という巨大なシステムはほぼ運命付けられていて、ある事柄に対して口を開くときに、どのような言葉が出てくるかは決まってしまっているのだ。

なぜ、人はさまざまな社会的課題について、ある特定の意見を持つのだろう?保守かリベラルか、選択的夫婦別姓制に賛成か反対か、死刑は廃止すべきか、同性婚を採用すべきか、タトゥーの人が温泉に入れないことについてどう思うか、ペーパーテスト重視の偏差値入試についてどう思うか、移民の問題についてどう考えるか。

これらの、社会を二分するような問題について、その人がどのような意見を持つかということは、その場で考えた結果の自由意志で決まるのではなく、その人の素質とこれまでの環境、経験によって決まる脳内の膨大な変数によって、あらかじめほぼ決まってしまっている。

つまりは、ある人が口を開いた瞬間、その人のそれまでの人生の「通知表」が公開されてしまうようなものだ。

ある問題について、ある人がSNS上で意見を述べるとき、その意見にはその人のそれまでの人生のすべてが現れている。SNSで意見が対立して、言葉がやりとりされるとき、お互いの考えを参考にして意見が変わるなどという甘い幻想を抱くべきではない。

何しろ、向き合っているのは、一人の人生全体と、もう一人の人生全体なのだ。

デジタルデータとしての言葉が伝えられること

脳の中での回路の形成を記述する変数は、無数にある。それこそ、何十億とか何百億、それ以上もある。それだけの変数によって裏付けされたその人の意見が、SNSで一言二言やりとりしただけで変わるんだったら、教育はもっと楽だし、人々はもっと簡単に洗脳されてしまう。

だから、そもそも、SNSで人の意見を変えるなんて、不可能なのだ。人に影響を与えてその人の価値観を書き換えるなんて、目標設定として間違っているのだ。よほどその人の身体全体に働きかけ、顔と顔を見合わせて、感情の高ぶりを伴うようなコミュニケーションでない限り。

つまり、夜たき火を囲むしかない。

私たちのSNSに対する幻滅は、SNS自体の責任ではなく、むしろ私たちのSNSに対する過剰な期待の結果である。言葉にはそれだけの力はない。ましてや、ネットを行き交うデジタルデータとしての言葉には、そんなパワーはない。

私たちは、諦めから出発しなければならない。ネット上で出会う他者は、私たちがどんな言葉を吐こうとも、基本的に変わらない、変わりようがないということを前提に、ツイートしたり、インスタしたりするしかないのだ。

SNSで出会う他者は変わらない。他人を揶揄(やゆ)するトロールは、トロールのままである。そのような「諦念」(ていねん)は、寂しいことではあるが、むしろ必要な現実認識でもある。

「本当の自分」に出会うことから始めよう

私たちは、努力を正しい方向に注がなければならない。私たち一人ひとりを構成している「変数」を、粘り強く書き換えていくしかないのだ。

SNSで多少気の利いたことを言ったからって、誰も変わらない。それよりも、自分の身の回りを見よ。普段何を経験して、どんな情報を得て、誰と会っているのかを振り返れ。

自分という巨大なシステムは、それを構成する変数を少しずつ変えていくことでしか変身できない。少し気の利いた葉に出会ったからと言って自分や他人が変わると思っている「意識高い系」が間違っているのは、その点である。

粘り強く、うんうん現実を押せ。水の中を泳ぐ魚のように、周囲に気を配り、良い人があったら会いに行き、素敵な本があったら読み、評判の映画があったら見よ。

そうやって、自分の中の変数を少しずつ耕していったら、やがて自分も変われるかもしれない

SNSに期待してもそれが裏切られるのは当たり前だ。私たちは、本当は、SNSのようなデジタルの情報のやり取りではなく、自分自身や他人という、「人間」そのものに期待して、働きかけるべきなのである。

そんなふうに諦念から始めることができれば、私たちはSNSに過剰な期待を抱くことなく、またその裏返しとしての深い失望を感じることなく、むしろ私たちと他者の変数のやり取りをするごく小さな回路の一つとして、SNSを正当に評価することができるようになるだろう。

私たちはまだ本当のSNSに出会っていない。本当の自分に出会わなければ、本当のSNSにも出会うことはできないのだ。

自分の中の「変数」を少しずつ耕せ!



おすすめの本

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Kenichiro Mogi

茂木健一郎(もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。脳科学者、作家。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。東京大学大学院物理学専攻課程を修了、理学博士。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。

写真:山本高裕