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青学の英米文学科に入学するも、学内の「夜学」に夢中で通っていた【日英翻訳者、遠田和子さんインタビューVol. 1】

遠田和子さん

日英翻訳者でライター、また英語学習の著書を手掛け、企業の英語プレゼン講師なども務める、遠田和子さん。遠田さんのGOTCHA!人気連載に書き下ろしの章を加えた電子書籍「GOTCHA!新書」が、2019年12月に発売予定です。それを記念して、遠田さんのインタビューを3回シリーズでお届けします。第1回は、子どものころに英語や海外に興味を持ち、大学で英米文学を学び、在学中にアメリカ留学したお話です。

遠田和子(えんだ かずこ) :日英翻訳者、ライター。著書に『究極の英語ライティング』(研究社)、『Google 英文ライティング』『英語「なるほど!」ライティング』『あいさつ・あいづち・あいきょうで3倍話せる英会話』(講談社、含む共著)などがある。共訳書は『Love from the Depths ― The Story of Tomihiro Hoshino』(立風書房)、『Rudolf and Ippai Attena』(講談社)、『Pilgrimages in the Secular Age: From El Camino to Anime (Japan Library)』(出版文化産業振興財団)など。http://www.wordsmyth.jp

父のカナダ駐在や海外小説から英語に興味を持った

英語や海外に関心を持ったのは、たぶん中学生くらいだったと思います。そのころ、父がカナダに単身赴任をしていました。当時は、海外に行く人って今ほどたくさんはいなかったんです。それで、父が送ってくれた写真とかお土産とかが、エキゾチックな感じがして、憧れました。

もう一つには、私は小さいころから本を読むのが好きだったんです。中学生のころは、『赤毛のアン』などルーシー・モンゴメリーの本は読破していました。父はカナダにいて、読んでいた本の作者はカナダのプリンスエドワード島出身で、となると、やはり英語圏に関心が向きました。

『赤毛のアン』の他に推理小説も大好きで、シャーロック・ホームズやアガサ・クリスティーの作品も読んでいました。そうすると、ますます海外の生活などに興味を持つようになりますね。

アメリカの若者文化に憧れた

高校、大学に行くと、今の日本ではそんなことないのでしょうけど、私の年代だと、アメリカって影響が大きかったんです。ファッションや音楽も含めて、若者のカルチャーならアメリカ、のような時代でした。1960年代に盛んだったカウンターカルチャーの価値観は、70年代から80年代初頭でもまだ色濃くて、マイノリティーの問題や自然保護、女性の権利とか、そういう思想がアメリカからどっと入ってきていたんです。だから、若者文化の旗手ということで、アメリカに憧れました。

今は興味が多様化して、圧倒的な影響力を持つものはたぶんないですよね。当時の熱い雰囲気って、今の若い方にはなかなか分かってもらえないかなという気はします。

遠田和子さん

大学では「夜学」に通いつめた

大学は、青山学院大学の文学部 英米文学科でした。高等部から青山学院で、中学生のころから興味のあった英語が学べる学科ということで決めました。

実は私、英米文学科の授業は、こなすだけにしていました。なぜかっていうと、私が大学に入ったときに、国際部ができたから。それは、今の国際政治経済学部とは全く別のものです。

当時の国際部は、アメリカ生まれの経済学者だった山根教授が、自分の理想を体現するためにつくった学びの場で、学部ではありませんでした。もちろん、事務局があって、大学内で授業をするんですけど、単位が取れないんです。しかも、正規の授業が終わって、夜6時、7時から授業開始でした。まるで夜学。でも、英語ネイティブスピーカーの先生が、分厚い原書のテキストを使って全て英語で教えるという、国内留学のような画期的カリキュラムでした。

それで、私はそっちに全精力を傾けることに。先生たちも、自分が本当に教えたいことを教えるから、面白くて、面白くて。授業の内容は、割と文学系で、言語学や哲学の内容もありました。『ハックルベリー・フィンの冒険』を読んだのは面白かった。児童文学だと思い込んでいたら、鋭い社会風刺や差別の問題など深い内容でね。

英米文学科の授業は、寝ていてもできちゃう感じでしたけど、国際部の授業は大変で、真剣でした。単位にはならないし、夜だし、少人数だし、全部英語だったから、よっぽど英語や文学とかが好きな学生でないと行かない授業でした。残念ながら、この国際部は数年でクローズされてしまいましたが。

遠田和子さん

1年間留学したアメリカの大学はラディカル

大学のときにアメリカに1年間、留学しました。国際部が留学制度を持っていて、文部省(当時)の奨学金が、1年間に1人だけに与えられるというものでした。だから、奨学金をもらうためには、1番にならないといけませんでした。

両親は保守的だったので、留学したいと言ったら、駄目、お金は出しません、って言われていて。アメリカなんかに行ったら、ヒッピーになって帰ってくるんじゃないか、って(笑)。そうすると、国際部の奨学金を取る以外には留学はできない、それで必死になったわけです。めでたく奨学金を取ったら、さすがに両親も、それなら仕方がないと言って、行かせてくれました。

私が留学したのは、カリフォルニア州のUniversity of the Pacific(UOP)という大学のCallison Collegeというところでした。そこと青山学院大学に交換留学の制度があったので、 Callison Collegeから青学に交換留学生が来て、青学からもこのカレッジに毎年、数人が行っていました。

Callison Collegeはinterdisciplinaryの(学際的な、異なる学問分野を横断する)学部でした。西洋以外の文化や思想を学ぶことに力を入れていて、学生は必ず1年間アジアのどこかの国に留学しなくてはなりませんでした。60年代のカウンターカルチャー全盛期にできたカレッジだったから、キャンパスの中でもラディカルでした。西洋的価値だけではなく、東洋的価値も取り入れて、今までと違うものを追及する、とでもいう雰囲気かな。

留学中は自由な気風に触れた

UOPのキャンパスに、背の高いユーカリの並木がありました。私たちCallison Collegeの学生はユーカリのこっち側に教室も寮もあって、他の学部の学生たちは「ユーカリのカーテンの向こう側はちょっと変」、という感じで(笑)。授業の仕方も、他のカレッジでは椅子に座って普通に授業をしていたけれど、私たちは例えば、先生がじゅうたんに寝っ転がって、学生もみんなで体育座りして、ディスカッションとか。まだ、ちょっとヒッピーっぽい気風が残っていました。それで、私なんかはびっくりしちゃって。

住むところも、カレッジごとに男女別の寮があるんですけど、私が入っていた寮はco-ed(男女共用)で、それも1階だけはトイレもシャワーも男女一緒。キャンパスの中で1箇所だけの実験的試みでした。日本から来たばかり、右も左も分からないときに寮に案内されて、驚いて、「どうして私が入っている1階だけトイレとシャワーが男女共用なの?」って。男の人がいないときに、そーっとトイレに行ったりしました。アメリカでは、トイレもシャワーも、ドアの下の部分が大きく空いているじゃないですか。それで、シャワーを浴びていると、毛むくじゃらの足が隣に見えて、どうしよう、って。

カレッジ全体が自由な雰囲気でした。決して実利的とは言えなかったそのカレッジも、私が留学を終えて帰国した数年後に、入学者が減ってクローズされました。私が通ったところはみんなつぶれちゃう(笑)。とにかく、いろんな機会を享受したなあと思います。

 

次回のインタビューは11月29日公開予定です。お楽しみに!

 

取材・構成:GOTCHA!編集部/写真:山本高裕(GOTCHA!編集部)