「あなたは今、健康ですか?」文学を通じて考える「病」という経験

「あなたは今、健康ですか︖」こう問われた時、あなたならどう答えますか︖英文学者で「ヘルスヒューマニティーズ」を研究する聖路加国際⼤学教授の井上⿇未⽒に、「健康と病」をテーマにインタビューしました!

「健康」とはなんだろうか︖

「あなたは今、健康ですか︖」

こう問われた時、あなたならどう答えるだろうか︖

けがをしていなければ、あるいは特別な病気でないならば、わたしは「健康」なのだろうか。いつものように通勤、通学をし、⽇々のルーティンをこなし、病院に通院していないことが、わたしの「健康」の証となるのだろうか。あるいは、健康診断や⼈間ドックで数値的な異常がでないことが、わたしの「健康」を保証してくれているのだろうか。「健康」とは、果たして何だろうか。

「健康」は、WHO憲章では以下のように定義されている。

健康とは、⾁体的、精神的及び社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病または病弱が存在しないことではない。
“Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.”

「健康」といえば、まずは⾝体的なものを思い浮かべる⼈にとっては意外かもしれないが、WHO憲章には、「健康」の定義として「単に疾病または病弱の存在しないことではない」と、はっきりと銘打たれている。

「⾁体的、精神的及び社会的」な領野を横断する「ウェルビーイング(well-being)」と⾔われているように、WHOによって定義される「健康」の概念は射程が広い。「ウェルビーイング」とは、⾝体的・精神的・社会的に良好な状態にあることを指す。

これにしたがえば、「健康」とは、病院のなかで医師から患者へと⼀⽅的に診断され、告げられるものではない。むしろ「健康」には、医師と患者だけでは完結しない、社会へと開かれた側⾯があるのだ。

「健康な⾁体」や「健康な精神」だけでなく、「健康な⼈間関係」、「健康な労働」、「健康な恋愛」、「健康な娯楽」など、広がりを持って「健康」を捉えるならば、看護師や薬剤師はもちろんのこと、親族、友⼈、恋⼈、同僚なども、あなたの「健康」にとって⼤切な意味を持つということがわかる。

ここで改めて問うてみる。「あなたは今、健康ですか︖」、果たしてどうだろうか︖

「病」におけるエビデンスとは何か︖

また、「単に疾病または病弱が存在しないこと」よりも広い意味で「健康」を捉えるならば、それと表裏⼀体である「病」についても、同じことが⾔えるのではないか。しかし仮にそうであるならば、「病」の社会へと開かれた側⾯は、医学や⽣物学等の⾃然科学的な「実証」だけでは、説明しきれないだろう。

例えば、うつ病患者のことを考えてみるとわかりやすいかもしれない。

うつ病が、セロトニンなどの脳内神経伝達物質の働きの不調によって引き起こされることが実証的な事実であるとしても、なぜ特定の個⼈においてセロトニンの働きが不調に⾄ったのかについての説明がなければ、「うつ病」という病を理解したことにはならないだろう。

だとすれば、「うつ病」のような精神疾患と向き合う場合には、うつ病患者のセロトニン濃度の低下に関する実証的なエビデンスに加えて、その発症と寛解に関する⼈⽂・社会科学的な説明が必要となることは、論を俟たない。

聖路加国際⼤学教授の井上⿇未⽒と、同⼤学准教授のジェフリー・ハフマン⽒は、「健康」そして「病」を考える上での⼈⽂学的なエビデンスの重要性を説く。ハフマン⽒は「ヘルスヒューマニティーズ」の可能性について、以下のように述べている。

ヘルスヒューマニティーズにおけるエビデンス〔=evidence〕の概念は、事実に基づく知識〔=factual knowledge〕よりも、意味、価値そして美学を中⼼に据えています。そして、このことが意味するのは、ヘルスヒューマニティーズが概念的には医学⽣物学とは反対の位置にあるということです。しかし、それは私たち〔=ヘルスヒューマニティーズ〕と医学⽣物学とが対⽴しているということではありません。むしろそれは、医学⽣物学を補完する重要なものです。確かに、経験的に証明できることはありますが、健康や⼈間の条件に関する⾮常に重要な側⾯などは科学的に証明できるものではないのです。つまり、ヘルスヒューマニティーズは、⽣物医学を補完する重要な視点だといえます。
“The conception of evidence in Health Humanities centers more on meanings, values, and aesthetics than factual knowledge. And what this means is that Health Humanities is conceptually in opposition to biomedicine. But it doesn't mean that we are opposed to biomedicine. Rather, that this is an important complement to biomedicine, because some things can be proven empirically, but some very important aspects of health and the human condition cannot. So Health Humanities represents an essential perspective that is complementary to biomedicine”.

井上⽒とハフマン⽒によれば、医学⽣物学を補完する⽴ち位置にある「ヘルスヒューマニティーズ」とは、「保健・医療と芸術・⼈⽂学・社会科学を融合した新分野であり」、「これらの分野の知識と実践がどのように医療者の教育と研究を進め変⾰していくか、そして患者・医療者・その間にいるすべての⼈の健康とウェルビーイングにどのように貢献しうるかについて探求すること」が、この学問の⽬的であるという。

ヘルスヒューマニティーズは米国発のメディカルヒューマニティーズ(医療人文学)を基礎として出発し、英国を中心に発展を遂げ、現在は世界的・学際的な運動となっている。

「ヘルスヒューマニティーズ」の担い⼿たちは、アカデミックな世界を超えて多岐にわたる。医師、看護師、コメディカル、公衆衛⽣専⾨家など、医療職に就く⼈間だけでなく、芸術、⼈⽂学、社会科学領域の研究者、教育者、学⽣、そして家族などの介護者、患者、元患者、地域医療サービスの利⽤者などが、ステークホルダーだとされる。これらすべての⼈々が、「相互の回復(mutual recovery)とウェルビーイングに向けて協⼒しあう」ことが「ヘルスヒューマニティーズ」の理想形だと、井上⽒は説明する。

「ヘルスヒューマニティーズ」の実践

「芸術や人文学を通してこそ、病など医療のなかで遭遇し経験することの意味を私たちは理解できる」、そのような前提に立つヘルスヒューマニティーズは、患者と医療者双方の健康とウェルビーイングのために、芸術や人文学の力を新たな方法で活用することを目指す世界的な運動だ。このような「ヘルスヒューマニティーズ」という学問の興味深さのひとつは、実践のなかにあると井上⽒は述べる

メンタルヘルスの問題のなかには、薬の医学的処⽅だけではよくならないケースも⾒受けられますが、ヘルスヒューマニティーズの実践のなかには、社会的処⽅(social prescribing)という形で、薬の代わりに⾳楽療法などを処⽅するアプローチも含まれます。ヘルスヒューマニティーズの先進国であるイギリスでは、病院の中で⾳楽療法⼠が職業として活躍できる環境がありますし、ドラミングを⽤いた⾳楽療法などの例では、薬の処⽅よりも効果がでるケースについて、⼤変興味深い研究もあります。

「社会的処⽅」とは、患者の課題を解決するために、地域の活動やサービスなどへの社会参加の機会を「処⽅」することを指す。イギリスでは近年、患者の健康やウェルビーイングの向上などを⽬的に、医学的処⽅に加えて、患者を地域へとつなげる社会的処⽅の取り組みを⾏うかかりつけ医が増えてきているという。⾳楽療法などの芸術的な活動の場が、患者たちの癒しの場となっているのだ。

また井上⽒の専⾨である英⽂学の分野からは、患者が経験する「病」への共感という論点が俎上に上がる。

ヘルスヒューマニティーズでは、病を「疾患」としてではなく、「経験」としてとらえます。例えば、私はLurlene McDanielという作家のBreathlessという作品を授業で読んでいますが、これはトラヴィス・モリソンというアメリカ⼈の前途有望な⻘年の飛込競技選手としての輝かしい⼈⽣が、⾻⾁腫を患ったことによって一転、苦痛と絶望へと向かっていくストーリーです。病が進⾏していく中で、病を患った主⼈公は、妹や周囲の親しい⼈びとに⾃殺の幇助を求めるようになります。そのような主⼈公の⽣が、本⼈だけでなく家族や友⼈、恋⼈などの苦しみや葛藤を通して多層的な視点から描かれるのがポイントです。

病を、⾝体機能あるいは精神機能の故障や不具合という意味での「疾患」として捉えれば、医者によって処⽅される治療や薬によって、患者が健康な状態へといかに回復しうるかという点に、⼈々の関⼼は絞られるかもしれない。

しかし、病を「経験」として捉えれば、病名という意味では同じ病を患っていたとしても、それぞれが⽣きるのは全く異なった経験である。⽂学はこのような「経験としての病」への深い理解と共感⼒を培うことができる。⼩説の中で登場⼈物たちは、主⼈公の「病」をそれぞれの仕⽅で「経験」するが、その時の葛藤や躊躇は、「疾患」としての病の記述で終始するものでは決してない。

病というのは、もちろん患者本⼈だけの経験にとどまるものではありません。それは例えば、患者の家族の経験でもあるわけです。先の物語は、結末部分で⾃殺の幇助という⼤変重いテーマを扱っていますが、この点について授業でディスカッションを⾏うと、意⾒は⼤きく分かれます。⾃殺の幇助は絶望から主⼈公を救ってあげる慈悲に満ちた良い⾏為だと考える⼈もいれば、決して許されるべきではない殺⼈であると考える⼈もいます。医療現場ではこのように二項対立でとらえられない問いに常に向き合うことになります。病を前にしたときの私たち⼈間の⼤きな葛藤や躊躇、悲しみや痛みを⼩説を通して追体験することで、病の本質への理解が深まると同時に人間の経験の多様性と複雑さを理解することができると、私は考えています。

実際に⼤学で看護を学んでいる学⽣たちからは実習後などに、「看護職(医療職)は命と近い職業です・・・患者さんやご家族の思いを推察するために力をかしてくれているのは、授業でBreathlessなどを読んで深く考え涙した時間です」、という感想も届くそうだ。芸術や⽂学に触れ、⾝の回りの「健康」と「病」について考え直すことが、⾃分と⾃分の周りの⼈⽣を豊かにしてくれると、ヘルスヒューマニティーズは教えてくれる。

ヘルスヒューマニティーズ文献案内

「ヘルスヒューマニティーズ」に興味を持った方は、以下の文献を手に取ってみましょう。

ENGLISH JOURNAL ONLINE編集部
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