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中国語を全く話せない私が台湾に渡ったワケ【女優・大久保麻梨子さんインタビュー(前編)】

中国語が全く話せない私が台湾に渡ったワケ【女優・大久保麻梨子さんインタビュー(前編)】

23歳まで日本でモデルなどの仕事をされていた大久保麻梨子さんは、26歳のときに単身台湾に渡り、現地で女優として成功を収めました。今年5月からは日本の芸能プロダクションに所属し、2020年初夏に日本の映画にも出演する予定とのこと。そんな大久保さんに、中国語習得のこと、台湾での生活のことなど、外国語学習者へのアドバイスも含めてお話しいただきます。

どうしても「ピノキオ」を演じたかった少女時代

GOTCHA!編集部(以下、編集部):早速ですが、子ども時代、学生時代どんなお子さんだったのかお教えいただけますか。

大久保麻梨子(以下、大久保):幼稚園のころは結構活発で、お遊戯会があればお遊戯やりたいですと立候補していました。学生時代も応援団などがあればすぐ立候補して「やりたい!」と言う感じでした。

編集部:周りを引っ張っていくようなタイプでした?

大久保:引っ張っていくというより、みんなと一緒に何かをワイワイやるのが好き、という感じでした。そのころからお芝居とか結構好きでした。 

編集部:最初にどんなお芝居をされたか覚えています?

大久保:幼稚園で「ピノキオ」をやることになって、女の子は妖精しか役がなかったんですけど、どうしてもピノキオがやりたくて立候補したのを覚えています。結局、妖精になったんですけど(笑)。それくらい積極的に候補するタイプでした。

勉強の方はというと、もう完全に文系で、理系の科目は一切触らない感じでした。国語と外国語(英語と第2外国語)が好きで、物語を読むのも大好きでしたが、理系は全然だめで、受験も文系の科目だけで受けられるところを選ぶほどでした。 

編集部:朗読などもお好きでしたか?

大久保:大好きでした。物語を読むのが好きで、図書館にもしょっちゅう行っていたんですよね。母の影響で、家では寝る前にみんなで漫画を読むような時間があって、その漫画のセリフをテープレコーダーに一人何役も演じて吹き込んだりとか、声色とかを変えて演じ分けるのを楽しんだりしていました。

楽しい思い出ばかりのモデル・グラビア時代

編集部:演じるのも好きだったということで、子どものころから芸能界を意識されていたんでしょうか。

大久保:小さいころからやりたいという憧れはありました。でも、福岡の田舎の方に住んでいて、何をどうしたらいいのかも分からないし、母に相談しても母も分からないという感じで、東京に行かないとだめなのかなと思っていました。

その後、親の都合で兵庫に引っ越したんですけど、高校生時代の夏休みに神戸のプロダクションの方にスカウトしていただいて、これはもしかして女優という夢に近づくチャンスなのではないかと思いました。その話を頂いたとき、親がちょうど弟の野球の遠征について行っていて、家に誰もいなかったんです。もうその場で「やります!」と言って、急いで面接を受けに行って。

不安はなくて、楽しみしかありませんでした。未知の世界を知りたいという思いでいっぱいで、もしかしたら憧れの女優に近付けるのではというワクワク感しかありませんでした。

編集部:実際、仕事を始めてどうでしたか?楽しいことやつらいことがあったと思いますが。

大久保:仕事は楽しかったです。つらいことはそんなになかったですね。やることなすこと全部新鮮でしたから。地方での活動でしたから、最初は読者モデルなどの仕事をやっていました。

それで、あるときグラビアのオーディションを受けて、東京に行く機会も増えてきたんです。初めてのことだらけで、本当に楽しかったです。始発で出掛けて終電で帰るような生活でグラビアの仕事をしていたので、体力的には厳しかったかもしれませんが、つらかったという思い出はありません。18~23歳まで、忙しくやらせていただきました。

未知の世界を知りたいという思いでいっぱいで、もしかしたら憧れの女優に近づけるのではというワクワク感しかありませんでした。

女優としてやっていく決心、そのタイミングとコンプレックス

大久保:つらいと感じたのは、23歳のときに女優に転身すると決断してからでしょうか。それ以前から、お芝居の仕事を少しずつやらせていただくようになって、やっぱり私がやりたいのは芝居なんだと。でも、女優に転身すると決めたら、それまでと打って変わってとても暇になってしまったんです。

時間がめちゃくちゃあるんですよ。そのたくさんある時間がとてもつらかったですね。いきなり仕事がたくさん来るなんてうまく行くこともなく、何もすることがない時間、これからどうしていこうかと考える時間がつらかったです。

編集部:その後、台湾に渡る決心をされますよね?

大久保:台湾に行ったのは26歳のときです。23歳で女優になる決心をしたものの、タイミングが遅い気がしていました。周りには10代から女優として活動している方もいますし、劇団などで演技力を磨かれている方も多くいます。23歳になってからそんな方々の中に入ってやっていくことにコンプレックスを感じていました。あんなすごい人たちと並んだときに、私がその人たちに勝るものは何もない――そんなふうに焦っていました。

だから、そのときはダンスを学んだりアクションに挑戦したりとか、いろいろなことをやっていました。語学が好きだったので、中国語もそのうちの一つだったんです。中国語を勉強したら中華圏で仕事ができたりするのかな、と考えたりして。そんなときに一人で台湾に行ってみようと思ったんです。

中国語漬けになった6カ月間

編集部:言葉の面の不安はありませんでしたか。

大久保:実は初めて台湾に行く前に、中国語のテキストを一冊、丸暗記したんです。一人の旅行だから、現地の人とできるだけコミュニケーションを取りたいと思ったので。でも、やはり全然通じなくて。学生時代は英語とか、第2外国語としてスペイン語を学んだりしていて、語学はちょっと自信があったんですが、簡単な言葉も通じないことに大きなショックを受けました。

でも現地では、しゃべれない私を助けるために、日本語が話せる人をどこかから見つけて連れてきてくれたりするんです。なんとかコミュニケーションを取ろうとしてくれる温かさに感動してしまい、帰りの空港で一人で号泣してしまうくらい帰りたくないと思いました。そこからは早くて。当時所属していたプロダクションにやめたいと伝えて、渡航の準備をして、半年後には台湾に渡っていました。

編集部:で、現地に渡って、その後はトントン拍子に事が進んだ、と(笑)。

大久保:トントン拍子!箇条書きのプロフィールを見るとそんな感じがしますけど、全然そんなことはなくて。台湾には9年間住んでいますが、ちゃんと自分で安心して生活できるようになったのもここ最近のことです。日本の預金通帳とにらめっこしながら、私はあとどれくらい台湾で生きていけるんだろう、などと経済的プレッシャーをずっと感じながら・・・順風満帆な感じではない日々を過ごしていました(笑)。

グアバというリンゴのようなフルーツがたくさん売られていて、安かったので1日1食だけはそれにしてみたり、節約生活はかなり頑張っていました。言語交換で日本語を教える代わりにごちそうしてもらったりとか。

編集部:言葉の面のお話をもう伺いたいです。全く話せない状態で現地に渡り、どうやって鍛えたんでしょう。かなり根性を入れる必要があったと思います。

大久保:めちゃめちゃ自分にプレッシャーをかけて、それこそ中国語漬けでした。アルクさんの「キクタン」中国語シリーズでもずいぶん勉強させていただきました。最初のころは一日中聞いていました。寝ている間も聞いていました。睡眠学習って本当に効くのかな、という感じで。

現地では、朝8時から正午まで語学学校に通って、その後、現地で所属した事務所で現地のマネジャーさんと中国語の練習をして、家に帰ったらテレビをつけてバラエティー番組とかドラマを見て。

現地のテレビは、中国語が話されているのに中国語の字幕が出るんです。だから、台湾で生活する中で、テレビは私にとても役立った教材でした。しかも向こうのバラエティー番組などは2時間おきくらいに再放送されるので、同じ番組で復習もできるんです。

そして、半年たったときにテレビドラマにヒロイン役で出演させていただけました。そのとき、それほど中国語が上手だったとは言いませんが、仕事をこなせるくらいのレベルにはなれていたと思います。

全て聞き取れた訳ではありませんが、中国語は漢字があるので、聞いているだけでは分からないことも、見て理解することができます。ドラマの台本をもらったら、それを解読して、監督と筆談を交えてコミュニケーションをして、なんとかドラマをやり遂げることができました。

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台湾で生活する中で、テレビは私にとても役立った教材でした。

頭が真っ白になった授賞式スピーチ

編集部:多くの苦労を乗り越えて、大久保さんは2013年に「金鐘奨(きんしょうしょう、Golden Bells Awards)」という台湾の大きな賞で助演女優賞を受賞されました。大きな達成感があったのではないでしょうか。

大久保:「絶対うそでしょ」と思いました。台湾に渡って2年目でしたが、その前の年にテレビでレッドカーペットの様子を見ていたんです。とても華やかな式典で、みんな胸元がパッと開いたロングドレスを着ていて・・・。そんな式典を、日本ではなかなか見る機会がないので、台湾の授賞式はすごいなと思っていました。

まだ節約生活の真っ最中で、家賃が高いから「誰かルームシェアしよう」というような生活をしているときに、プロデューサーさんから電話がかかってきて、「ノミネートされたよ」と言われたんです。その「ノミネートされた」という中国語の意味も分からないくらいでしたが、とにかく頭が真っ白になりました。その後の一番の心配は、あんなドレスどこで用意すればいいの?ということでした(笑)。

編集部:受賞のスピーチもあったんですよね?

大久保:そうなんです。大きな会場のステージに立ったんですけど、生放送で、用意していた言葉とかも全部飛んでしまって。もう、「台湾大好きです!」「ありがとうございます!」のようなことを泣きながら話している様子が生放送されました。もっと言いたいことはたくさんあったのに出てこなかったんです。

編集部:それからだいぶ時間がたちましたが、もうコミュニケーションに困ることもなくなりましたか?

大久保:困ることはなくなりました。もちろん、台本を頂くたびに知らない言葉は出てきます。それでもコミュニケーションは問題なく取れるようになりました。

編集部:それでもまだ日本語の方が得意ですか?

大久保:どうでしょう?確かに、日本語が出てこなくなることはあります。「アスパラガス、なんだっけ?」みたいなことを中国語で言い続けたこともありました(笑)。簡単な日本語が出てこないときは本当にショックですね。

 

>> 後編に続く(11/6公開予定)

大久保麻梨子さん出演映画情報

tanemaku-tabibito.jp

大久保麻梨子(おおくぼ まりこ)

2013年に台湾最大のテレビアワード「第48回金鐘獎」最優秀助演女優賞を受賞、台湾で役者を中心に活動している。台湾連続ドラマ『幸福不二家』で主人公を演じ、「金馬奨」最優秀作品賞の映画『血観音』など多数出演。最近では、番組のMCも務めている。

18歳のとき、日本の「ミスマリンちゃんを探せ」オーディションでグランプリに選ばれ、 芸能界デビュー。9冊の写真集、各雑誌の表紙を飾り、グラビアなどで人気を博した。2010年初めて訪れた台湾に一目ぼれし、思い切って生活の拠点を台湾へ移し中国語を習得。モデルとして数々のCMに出演し活躍。その後出演したドラマ『愛情替聲』で演じた役で「第48回金鐘獎」最優秀助演女優賞を獲得し、女優活動を本格化させた。 2016年、台湾人の一般男性と入籍。国際的な生活文化交流をつなぐ架け橋になることが一番の目標である。