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小学6年生の少女エッセイストがミステリーハンターになるまで【華恵さんインタビュー】(前半)

小学生のときからエッセイストとして活躍する女優の華恵さんインタビュー(前半)

何かを学び、身に付けた人は、多くの苦労を乗り越え、また同時に多くの喜びを味わっているはず。インタビュー「伝えるということ」では、さまざまな分野で活躍する方々に、そんな学びの体験を伺います。今回ご登場いただくのは、小学生のころからモデルやエッセイストとして活躍し、テレビやラジオで大活躍の華恵さん。世界の異文化にふれて「伝えたいこと」をお話しいただきます。

華恵(はなえ)

エッセイスト/女優/ラジオパーソナリティ。TBS『世界ふしぎ発見!』にミステリーハンターとして出演など、大ブレイク中。アメリカで生まれ、6歳から日本に住む。10歳からファッション誌でモデルとして活動。小学6年生でエッセイ『小学生日記』(プレヴィジョン)を出版、中学生、高校生で多数のエッセイを出版する、多才なアーティスト。

華恵オフィシャルサイト|ORIHIME
華恵 | アーティスト マネジメント | テレビマンユニオン | TV MAN UNION
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アメリカにいたころは目立ちたがり屋の女の子でした

父はアメリカ人、母は日本人。生まれはニューオーリンズですが、6歳までニューヨークに住みました。アメリカにいたころは、性格がすごく勝気で目立ちたがり屋で、家では鏡の前でずっとポーズを取っているような女の子でした。モデルや役者など、人前に立つ仕事に憧れがありました。

そんな私を母と兄は、絵本『I Like Me!』に登場するブタの女の子にそっくりだと言っていました。私が初めて買ってもらった大好きな絵本です。ブタの女の子は、あんなこともできる、こんなこともできる、と自分のことを得意げに説明して、どこにいてもどんなときでも自分らしくいる自分が好き!と言います。

当時通っていたプリスクールの先生が、私たち一人ひとりが「スペシャル」だといつも教えてくれたからかもしれません。

I Like Me! (Picture Puffin Books)

I Like Me! (Picture Puffin Books)

 

日本では周りのみんなと同じになりたいと思うようになった

日本では周りのみんなと同じになりたいと思うようになった

アメリカにいたころは、とにかく目立ちたい、人前に立ちたい、っていう子どもだったんですが、日本に来てからは、少し違ってきました。ハーフの子がめずらしがられていた時代です。日本語もあまりできなくて、あまり活発じゃなくなったんです。

母は、ランドセルは卒業したら使わなくなるからもったいないと考え、校長先生から許可を頂いて、クラスで私だけリュックで登校しました。そういった違いが結構あって、自分が「周りのみんなと同じになりたい」と母にしょっちゅう言うようになっていたんです。髪の毛の色を黒にしたいとかも。

そのとき母は、私が自信を持っていたころの自分をもうちょっと取り戻してもいいんじゃないかと思ったみたいで、「今だからこそモデルやってみない?」って母に勧められたんです。当時は、能動的にあれしたい、これしたいとか言わずに、全部受け身になっていたころだったので、「うん」と言って始めました。

モデルの仕事は周りとの違いを面白がってくれた

モデルの仕事を始めると、今まで黒くしたかった髪の毛の色を、「きれいな色だね」と言われるようになりました。撮影現場の大人たちは、周りとの違いを1つ1つ、「いいね、いいね」と言ってくれるのです。普段の生活との違いを新鮮に感じました。

そのころ小学校では、個性を伸ばそうという教育に力を入れ始めていましたが、モデルの世界だと学校より1歩、2歩早く個性を面白がってくれる環境があったんです。

むしろ、オーディションでは、誰でも言いそうなことや、誰でもやりそうなことをやっていては受からないなあとか、自分の中の特徴を探していかなきゃ、というような意識に変わりました

6年生のときにエッセイ『小学生日記』を出版

2001年と2002年に作文で、全国小・中学校作文コンクールで読売新聞社賞を受賞したんです。モデル事務所に報告すると、マネージャーが当時よく仕事をしていた spoon.(スプーン)という雑誌の編集長にその作文を読ませたいと言うので、送りました。

編集長は、内容が面白いし、小学生が書いたら新鮮かもしれないから spoon. のウエブで連載をしてみたら?と言ってくれて、連載が始まりました。それがまとまって『小学生日記』 (角川文庫) になりました。その後、中学から高校の間にたくさん書きました

  • 2003年『小学生日記』(プレヴィジョン)
  • 2006年『本を読むわたし』(筑摩書房)
  • 2007年『ひとりの時間』(筑摩書房)
  • 2008年『キモチのかけら』(筑摩書房)
  • 2008年『寄りみちこみち』(角川書店)
  • 2010年『たまごボーロのように』(筑摩書房)
  • 2010年『華恵、山に行く。』(山と渓谷社)
  • 2010年『本を読むわたし My Book Report』(ちくま文庫)

初めて文章を書いたのは日本語です。母と交換日記をよくやっていました。

夜、母と2人で過ごす時間は英語でした。心地よかったのですが、母と2人の世界にすがっていてはダメだな、と思って「今日から英語禁止にしたい」と自分から断言しました。その後は、分からないことはすべて仕草でなんとかやって日本語を覚えました。自分の体感と言葉を一緒に取り込むっていう感じで覚えていきました。

読書も大好きでした。ニューヨークでは目立ちたがり屋の子が普通だったのに、日本では「ちょっと変わった子」と扱われることがあって、そんなとき、本の中で誰かに出会えたり共感できたりすることが楽しかったんです。読書をするときは、周りと同じになりたいという気持ちを忘れることができました。登場人物と、そういうコミュニケーションをとれるのが楽しかったです。

小説家の道か、音楽の道か?

中高校生のときは、エッセイの本をコンスタントに出版したり連載もして出して一番書いていた時期でした。2004年に第130回芥川龍之介賞受賞した2人の小説家、『蹴りたい背中』の綿矢りさ(わたやりさ)さんと、『蛇にピアス』の金原ひとみさんが賞を取ったときに、私も小説家になる道を目指して賞をねらった方がいいよ、と周りから言われ始めたんです。

エッセイではなく小説という部門になるから、私立大学の文学部を目指した方がいいという逆算的なアドバイスが妙に納得いきませんでした。

実際にあったことを書くエッセイの賞がどうしてそんなに大きな話題にならないのか、とか、今書きたいから書いているのに、打算的になりたくありませんでした。

そんなとき、雑誌 『Esquire (エスクァイア) 日本版』 2008.3月号「ピアノ300年、音楽の真相」特集の企画「東京鍵盤めぐり」の対談で阿部海太郎さんと出会ったんです。

いくらやっても飽きないことをやっていく人生を選んだ

いくらやっても飽きないことをやっていく人生を選んだ

阿部海太郎さんは、故・蜷川幸雄さんが生前演出した作品の劇音楽を何度も手掛け、舞台、映画、ドラマなどの音楽制作をしている方です。対談では、東京でピアノがあるいろんな場所に一緒に行きました。

武蔵野音楽大にはいろんなピアノが置いてあって、クララ・シューマン(作曲家シューマンの妻)のために作られたピアノを見るなど、いろんな博物館や音大をまわりました。そのときに音楽のことをいくら話していても尽きないなというすごく楽しい感覚を知ったんですね。

私の両親は離婚しているんですが、私が生まれたニューオーリンズで、父はどんなことをしていたのか知りたいと思っていました。すると、ジャズやファンクなど、いろいろなアメリカン・ミュージックの発祥の地であるニューオーリンズのことは、音楽民族学という分野で勉強できると、阿部海太郎さんに教えていただきました。そして、阿部海太郎さんの母校でもある東京藝術大学への入学を決意しました。このことが、人生のターニングポイントになったと思います。

やっぱり自分が夢中になれることを、やりたいことを、今いくらやっても飽きないことをやっていくこと選んだのは、阿部海太郎さんとの出会いのおかげです。

 

この動画は、華恵さんが2019年6月に『世界ふしぎ発見!』のミステリーハンターとして出演した番組のオフショット動画です。

次回は、レポーターの仕事を通して学んだこと、人生のもう一つのターニングポイントについてです。お楽しみに!

華恵さん出演情報

◆TBS『世界ふしぎ発見!』のミステリーハンターとして出演。

◆『地球タクシー 』「金沢を走る」10月10日(木)13:00~13:50

◆「simple style ~オヒルノオト~」JFN<毎週月・火曜日担当  11:30~12:55

◆「渋谷のかきもの」 毎週月曜日 14:10~15:00  (毎月最終週はお休み)
  周波数:87.6MHz アプリ試聴可能 <渋谷のラジオ

◆「華恵の本と私の物語」 第3土曜日掲載 <毎日小学生新聞

 

写真:山本高裕
取材・構成:増尾美恵子