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ラテンミュージックとダンス!ラテンジャズからレゲトンまで~有名な曲とミュージシャン

アメリカ社会のラティーノ

アメリカで大きな存在感を示す「ラティーノ文化」のラテン音楽(ラテンミュージック)とラテンダンスを紹介します。20世紀前半から現代まで、知っておきたいミュージシャンや代表曲とともに、ラティーノの音楽や踊りの流行をたどりましょう。解説者は、ラティーノ文化などを専門とする研究者で多文化コンサルタントでもある三吉美加さんです。

「ラティーノ」と「ラテン(系)」の関係

皆さん、こんにちは!

前回は、日本ではまだ知名度が低い言葉「ラティーノ」の定義をお伝えしました。下記リンクでお読みいただけます。

gotcha.alc.co.jp

今回は、「ラティーノカルチャー」を紹介します。

「ラティーノ」という言葉になじみがないと、「ラティーノカルチャー」と聞いてもあまりぴんとこないかもしれませんね。でも、「ラティーノ」を「ラテン」と言い換えたらどうでしょうか。「ラテン音楽」「ラテンのリズム」といった音楽やダンスに関するイメージが思い浮かぶかもしれません。「あの人ラテンだね」なんて言い方もありますね。

「ラティーノ」と「ラテン」は同じではありませんが、意味が重なる部分はあります。一般に、「ラテン系」というと「ラテン語から大きな影響を受けた言語を話す人々」というような意味合いで理解されることが多いと思います。つまり、フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語などを話す人々ですね。スペイン語がそこに含まれるので、ラティーノとラテン系は全くイコールではないけれど、「ラテン系」の人々に「スペイン語話者」が含まれています

ただ、ファッション誌などに「ラテン系」とあるときはなぜかイタリア人が対象となっているようです。「ラテン男のファッションをまねしよう!」なんていう記事を見掛けますよね。この連載ではラティーノになじみのない方にラティーノを紹介したいと思っていますので、この辺りはゆる~くいきましょう。

20世紀前半のラテン音楽の潮流

アメリカ合衆国(以下アメリカ)のLatino(ラティーノ)たちはよく自分たちのことを「Latino people are soooo hot!(ラティーノはアツい!)」と表現します。このhot、スペイン語ではcaliente(カリエンテ)といい、いろいろなニュアンスがありますが、いずれにせよ「アツい」「魅力があるよ」という押しの強さがある言葉です。ラティーノの音楽を聞いても、Caliente! Hot!とよく叫んでいますよ。

さて、カリエンテなラティーノ音楽を幾つか紹介しましょう。

ラテンジャズ

ラテンジャズは、1940年代にアメリカで大ヒットした音楽ジャンルです。主にアフロ・キューバン・ジャズブラジリアン・ジャズの2つに分けられます。

まず聞いていただきたいのは、ジャズトランペット奏者のディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie)やマリオ・バウサ(Mario Bauza)の音楽です。おすすめの曲は、ディジー・ガレスピーの「Manteca」マリオ・バウサの「El Manisero」という曲です。さまざまなパーカッションと金管楽器のスリリングな掛け合いが実に楽しいです。

オードリー・ヘプバーン主演の映画『ティファニーで朝食を』の中でも、アフロ・キューバン・ジャズがかかっていました。狭いアパートメントに大勢の人が集まってパーティーをしているシーンです。これほどまで白人たちの間にラティーノの音楽が受け入れられたことはかつてなかったと言ってもいいでしょう。

マンボ

1950年代には、キューバで生まれたマンボと呼ばれる音楽と、特にそのダンスがアメリカで大流行しました。この音楽をメジャーにしたのは、ぺレス・ブラード(Dámaso Pérez Prado)というキューバ人のバンドリーダーでした。

テンポの速いパーカッションに合わせて腰や脚をひねりながら踊るダンスが、カリブ海系の人たちだけでなく、若い白人たちの間でも大流行しました。音楽も大流行して、ラティーノではないアーティストたちがアレンジを加えて数々の曲をリリースしています。ペリー・コモ(Perry Como)やナット・キング・コール(Nat King Cole)の「Papa Loves Mambo」という曲が有名です。きっとお聞きになったことのある曲だと思います!

実は、ヒップホップのブレイクダンスを特徴付ける脚や腰をひねる動きは、マンボダンスの影響を受けていますよ。

アメリカでのキューバ文化の受容

ラテンジャズもマンボも他のジャンルも含めて、キューバの音楽がアメリカの音楽業界や文化に与えた影響はとても大きいのです。

キューバ革命後の1961年からオバマ政権下の2015年まで、アメリカとキューバの二国間には国交がありませんでした。しかし、それより前の20世紀前半からキューバ革命が起こるまでは、キューバはアメリカの傀儡国家のような状態でした。キューバの文化がアメリカに入ってきたことは、このことと関係があります。

キューバ革命が起こる前、たくさんのアメリカ企業が進出していた当時のキューバには、アメリカ人観光客が大勢やって来ていました。距離的にもとても近いですからね。キューバでアメリカ人観光客が楽しんだものの一つに、アフロ・キューバ音楽が挙げられます。二国間の人の流れ、観光業やショービジネスの盛況などによって、キューバの音楽はアメリカの人たちに受け入れられていったのです。

20世紀後半以降にニューヨークで生まれたラテンミュージックとダンス

20世紀前半には、才能のあるミュージシャンが継続的にキューバからアメリカへやって来ていました。しかし、1961年に二国間の国交が断絶すると、キューバからやって来るミュージシャンが少なくなり、「アフロ・キューバ音楽」という名前も使用されなくなりました。この辺りから、「ラテン音楽(ラテンミュージック)」という名称が広く使われるようになっていきます。

1950年代前半、キューバ革命前のキューバからニューヨークに移住してきたミュージシャンの兄弟の生活を描いた『マンボキングス/わが心のマリア』(1992年)という映画があります。この作品を見ると、当時のキューバ音楽や移民たちの暮らしが分かります。

20世紀前半は、ニューヨークに大勢のプエルトリコ系が流入した時代でもあります。少なくなったキューバ人ミュージシャンに代わって、多くのプエルトリコ系ミュージシャンがナイトクラブでラテン音楽を演奏するようになっていきます。「ラテン音楽の王」とも称されるティンバレス奏者、ティト・プエンテ(Tito Puente)もプエルトリコ系です。

サルサ

ラテンジャズやマンボの人気は1960年代後半までには下火になっていたとされますが、その後、サルサと呼ばれる音楽が誕生します。この名称はお聞きになったことがありますね!ニューヨーク市のプエルトリコ系を中心とするカリブ海系が多い地区の音楽とされます。人種差別がひどかった時代ですから、初期のサルサでは、生活の厳しさがよく歌われていました。仕事で疲れ果てた人のことを歌った、ルーベン・ブラデス(Rubén Blades)の「Numero Seis」などが有名です。

ルーベン・ブラデスは超が付く有名サルサ歌手ですが、俳優として映画やテレビドラマでも活躍しています。顔を見たら、「見たことある!」という方もいらっしゃるかもしれません。彼が作品に登場すると、たいてい歌うシーンがあります。

サルサも、20世紀前半に流行したキューバのソンと呼ばれる音楽の影響が強いのですが、他のキューバ音楽や、ジャズやブルースなどアメリカの音楽からも影響を受けています。

サルサのオーケストラは、トランペット、トロンボーン、サクソフォン(サックス)などの管楽器、グイラ(グイロ)、マラカス、クラベス、ボンゴ、コンガ、ティンバレス、カウベルなどの打楽器、ピアノ、ベース、ボーカル、コーラスとかなりの大所帯で構成されます。スペイン語で高らかに歌い上げるボーカルとノリの良さが特徴的です。聞いていると体を揺らさずにはいられません!

古いサルサでおすすなのがエクトル・ラボー(Victor Lavoe)の「El Cantante」、モダンなものではマーク・アンソニー(Marc Anthony)の「Vivir Mi Vida」がおすすめです。この2曲はとても有名ですので、ぜひ聞いてみてください。

サルサは国や地域によってさまざまなバリエーションがあります。動画サイトで見比べるのも面白いですよ。

サルサダンスには基本となるステップがあり、通常、男女2人のペアが手をつないで踊りますが、いろいろなバリエーションが見られるようになっています。例えば、ロサンゼルスの人はアクロバティックな動きをよく取り入れて踊る傾向がありますが,ニューヨークではペアが離れて踊る時間が長いという特徴があります。もちろん、男性同士、女性同士で踊るペアも今は多くなっていますよ。

サルサは、もはやラテンアメリカだけでなく世界中で親しまれています。日本でもサルサを聞いたり、踊ったりする場所があります。サルサダンスのクラスも人気があるようです。踊り方も動画サイトにたくさんアップされていますから、家でも練習できますね。基本ステップを覚えたら、サルサを踊りに出掛けてみましょう。

ヒップホップ

サルサとほぼ時期を同じくして、ヒップホップがニューヨークで誕生しています。ヒップホップはアフリカ系アメリカ人の間で生まれた文化と思われがちですが、プエルトリコ系、キューバ系、ドミニカ系などカリブ海系のラティーノも創成期に大勢関わっていました特にDJやブレイクダンサーが多かったようです。

スペイン語のラップは1980年代後半に誕生します。今のヒップホップでは、ラティーノでないアーティストが、ラップにスペイン語を取り入れることも多くなっています。アメリカのラティーノの数はどんどん増えていますから、このような変化は自然なのかもしれません。

レゲトン

そして忘れてならないのが、ラティーノの若者を中心に絶大な人気を誇るレゲトンです。ニューヨークの高校や大学のパーティーでは、欠かせない音楽になっています。

プエルトリコ発祥の音楽とされますが、ヒップホップ、ラティーノのロック、レゲエ、ソカ(カリブ海英語圏のポップ音楽)、クンビア(コロンビアの音楽)など、とにかくたくさんのジャンルの音楽要素が融合してできた音楽、ダンスです。

レゲトンはカリブ海で生まれているので、特にカリブ海系のラティーノたちの間で親しまれています。ミュージックビデオでも、カリブ海の風景が必ずと言っていいほど映し出されます。

レゲトンを一躍有名にしたのは、ダディー・ヤンキー(Daddy Yankee)の「Gasolina」の流行でした。ただ、ミュージックビデオに露出の多い女性が映っていたり、性的に露骨な歌詞が多かったりするので、好き嫌いが分かれます。

皆さんも、気になる音楽があれば、ぜひ聞いてみてくださいね!

サルサもラティーノ・ラップもレゲトンも、ミュージシャンたちはスペイン語にこだわっています。アメリカ生まれのラティーノのアーティストはバイリンガルなので、英語のみで歌うこともできますが、スペイン語への愛着の強さが感じられます。ラティーノというアイデンティティーをいかに大事にしているかが分かりますね。

政治的、社会的に反ラティーノの動きがあると、ラティーノ同士を結び付けるために、ポピュラーカルチャでースペイン語が意図的に使われていくこともあるでしょう。

日本でも、ラテンアメリカやカリブ海文化のフェスティバルなどが開催されています。ラティーノの音楽やダンスに興味のある方は、ぜひお出掛けください!

「サルサストリート2019」は、2019年6月22日(土)、23日(日)に東京・代々木公園で開催。詳細はこちら▼

SALSA STREET 2018|サルサストリート 2019

ラティーノを知るための本

アメリカのラティーノの概要と、5大ラティーノ集団(メキシコ系、プエルトリコ系、サルバドル系、キューバ系、ドミニカ系)の移住の歴史や社会について解説している、三吉美加さんの本です。

米国のラティーノ (ASシリーズ 第 13巻)

米国のラティーノ (ASシリーズ 第 13巻)

 

三吉美加

文:三吉美加(みよし みか)

多文化コンサルタント。文化人類学の視点から、さまざまな顧客に対する配慮やサービスの仕方、具体的なプランを提案している。ライフコーチングおよびタロットリーダーとしても活動。東京大学大学院学術研究員(文化人類学)。専門は米国・カリブ海地域のラティーノ・黒人文化、移民。「1000時間ヒアリングマラソン」の「カルチャー再発見」コーナー担当コーチ。

編集:GOTCHA!編集部