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会社員から一念発起、タイに海外転職した私

会社員から一念発起、タイに海外転職した私

今、外国人労働者の受け入れ問題などをきっかけに、「日本語教師」という職業に注目が集まっています。現在活躍している日本語教師の皆さんは、今までどのような人生を歩み、どのように日本語教師になったのでしょうか。3年間タイで日本語を教え、現在は日本でオンライン日本語の講師として活躍している仲野睦子さんに2回に渡り話を聞きました。前編は「検定試験チャレンジ編」です。

こんにちは。仲野睦子です。私は60歳を目前に日本語教師になりました。2014年から3年間タイ・バンコクに滞在して日本語を教え、現在は帰国してオンライン日本語の講師をしています。

プライベートでは昨年誕生した孫と遊んだり、趣味の旅行に出かけたり、充実した日々を過ごしています。自分のペースやライフステージにあった働き方が選択できるのも、日本語教師という仕事の魅力だと思います。では、私が日本語教師になるまでを紹介たいと思います。

定年まで会社に勤める?

5年前までは漠然と「定年まで会社に勤めるんだろうな」と思っていた会社員の一人でした。一般企業の営業事務としてフルタイムで働きながら、家事に育児に夢中で走り続けて20年。気が付くと定年まであと数年となっていました。

毎日パソコンの画面を長時間見つめながら、「この仕事、50歳過ぎるとキツいわね!」と部下に冗談っぽく話していましたが、半分は本気で仕事の限界について考え始めていました。

その当時の息抜きは、年2回の東南アジア旅行。2009年、友人に勧められてラオスのルアンパバンに行ってから、東南アジアののんびりした雰囲気がすっかり気に入ってしまい、それから毎年9月にはタイ、2月にはラオスへの旅行が恒例となりました。しかし、会社員が取れる休暇には限りがあります。定年後にはもっとゆっくり大好きな旅行をしてみたい、という希望もありました。

アジアに多い日本語学校

日本語教師という職業に興味を持ったきっかけは、2013年のゴールデンウイークに、たまたま安い航空券が手に入って向かったミャンマー旅行。マンダレーという小さな都市に日本語学校がいくつもあって、日本語を勉強している人たちがいると知ったことでした。

帰国後、さっそくネットで日本語教師について調べてみました。

「日本語教育能力検定試験」に合格すれば、日本語教師になれるらしい、練習問題をやってみたら結構面白い、通信講座なら仕事をしながらでも勉強できるかもしれない、来年の試験なら今から始めれば何とかなるかもしれない、試験に合格したら東南アジアで教えられるかもしれない……夢はどんどん広がって、8月にはアルクの「NAFL(ナフル)日本語教師養成プログラム」 (以下、NAFL)を申し込んでいました。

6カ月間で全体像が見えた試験勉強

海外旅行で困らないようにと、英語の勉強は細々と続けていたものの、本格的な試験勉強は約40年ぶり。NAFLの大きな箱が自宅に届き、さっそく学習を開始したのですが、最初は自分に落胆することばかりでした。読んだはずの内容をすっかり忘れていたり、平日仕事から帰って家事を終えて机に向かうと10分で眠くなってしまったり……。試行錯誤しながら「分からなくても、覚えてなくても、とにかく1週間で1冊進める!」と、自分にノルマを課すことにしました。

そのペースで6カ月。テキスト24冊を読み終えたときには、日本語教育の全体像が見えてきて、「試験に向けてやるべきこと」がつかめた感じがありました。

そこからは実践あるのみ!ということで、問題集や過去問を解きながら、分からない部分はテキストを読み返して復習することを繰り返しました。

緊張で手が震えた試験当日

試験までに、5年分の過去問を解いてだいぶ自信がついていたはずなのに、いざ本番になると緊張し過ぎて鉛筆を持つ手が震える始末。得意なはずだった問題を落としてしまったり、「不適切なものを選べ」という問題で「適切なもの」を選んでしまったり、ケアレスミスを連発してしまいました。

最後の記述式問題でも、緊張で字がうまく書けない上に、よい解答の目安と言われている文字数には到底足りない状態で結論まで書き終わってしまいました。何か付け足そうにも何も思い浮かばず……。4時間の試験を終えた時には完全に「落ちた~!」と思い、疲れ果てて家路につきました。

しかし、試験翌日、気を取り直してアルクの解答速報で自己採点してみると、「もしかして合格ラインに乗ったかもしれない」と思える点数でした。

合格発表までの2カ月は、「慌ててマークミスしてるかも」「今年の合格基準点は上がっているかも」「落ちていたらもう一年がんばろう」など、いろいろなことをグルグル考えながら過ごしました。

合格発表の日、合格ならば合格証書の入った大きい封筒、不合格ならハガキが届くということだったので、朝から郵便屋さんを待ちわびて、「大きい封筒」が届いたときには「受かった! 受かった~!」とはしゃいで家族や友人に報告しまくりました。

求人が多いタイに就職活動

求人が多いタイに就職活動

試験勉強中はモチベーションアップの為に求人ガイドをよく見ていたので、タイとベトナムの募集が多いことや、海外では年齢制限が厳しいことはよく分かっていました。年齢のことを考えると、一刻も早く日本語教師デビューをしたいし、会社を辞めることになると仕事の引き継ぎにも時間が必要と考え、ものは試しと行き先をタイに絞って就職活動を開始したのが5月でした。

タイにしようと思ったのは、旅行で何度も行っていて慣れていましたし、タイの人の親切で人当たりの良いところに引かれていたからです。求人情報を見ると、年齢欄に「45歳以下」「30代まで」「25歳以下女性」などとあるところが多く、「やっぱり若い方がいいよね……」とネガティブな気持ちにもなりましたが、年齢の記載がない学校もあり、その中の3校に履歴書を送ってみました。

すると、1校は音沙汰なしでしたが、2校から返事がありました。1校はすぐにビデオ通話サービスを使って面接し「ぜひ来てほしい」と言われたのですが、もう1校の校長に「あなたの経験を生かしてビジネスクラスを作ってほしい」と言われ、ぜひやってみたいと思い、こちらの学校に決めました。

家族には事後報告で「10月からバンコク行きます!」と宣言。会社には「9月末までに私の頭の中にあること全部マニュアル化しますから」とお願いし、9月末に退職。その1週間後にはバンコクへ向かいました。初めての1人暮らし、初めての海外暮らしにわくわくしていた私を待っていたのは……。

(後編に続く)

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文:仲野睦子

研修会社の営業事務職を23年。検定合格を機に退職して日本語教師としてタイへ。帰国後はオンライン日本語授業の講師として個人指導を続ける。趣味は格安海外旅行。10年間の東南アジア通いの後、最近はヨーロッパにも足を延ばし、安くて快適な穴場を開拓中。