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GOTCHA!

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【サムライENGLISH 第14回】 This is Date’s samurai spirit. ~仙台とヨーロッパをつないだ伊達のサムライ

サムライENGLISH

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あなたは11月3日が何の日かご存知ですか。今から401年前の1615年、伊達政宗公の命を受けてヨーロッパへ渡った「慶長遣欧使節」の支倉常長が、ローマ教皇に謁見した日です。精密な地図も、情報収集できるスマホも、自動翻訳アプリもない時代。海外へと目を向け、自分たちで船を作り、使節を送り出した伊達政宗公と、政宗公の夢を実現すべくヨーロッパで挑み続けた支倉常長。 二人の男の壮大な物語を、伊達政宗様と支倉常長様にじっくりと教えていただきましょう。

【We will make Sendai a bridge between East and West.】 慶長遣欧使節、その始まり

伊達政宗、支倉常長n

The Keicho-Era Mission to Europe (慶長遣欧使節)

In 1613, Masamune DATE sent a mission to the Vatican and to Spain to negotiate trade with New Spain,a Spanish colony in the New world.The mission included Francisca missionary Luis SOTELO and Lord DATE'S retainer Tsunenaga HASEKURA. About 400 years after the mission’s dispatch, the Materials related to the Keicho-era mission to Europe were designated as a national treasure in 2001 and inscribed on the UNESCO Memory of the World Register in 2013.

  • missionary ⇒宣教師
  • retainer ⇒家臣
  • the mission’s dispatch ⇒ 使節の派遣
  • were designated as a national treasure ⇒国宝に指定された
  • the UNESCO Memory of the World Register ⇒ユネスコ世界記憶遺産
    ※ユネスコ主催の事業で、他に、「マグナ・カルタ」や「アンネの日記」など登録されています。

 

伊達政宗使節の話をする前に、少しだけこの頃の事を説明いたそうか。使節を送った慶長18(1613)年は、徳川家康公が江戸幕府を開いておよそ10年。戦国時代の終焉を告げる大坂冬の陣・夏の陣が目前に迫っていた頃じゃ。また、わし政宗自身は、慶長15(1610)年に仙台城本丸を完成させ、これから本格的に領内の整備や拡充をしようとしていた時期であった。

ずばり、この慶長遣欧使節の目的は2つ。当時スペイン領であったメキシコとの直接交易と宣教師の派遣を要請するためである。まあ、宣教師派遣というのは、キリスト教布教を容認することで通商交渉を有利に進めたいという思いもあったかもしれんがのう。元々わしは海外に興味を持っておったが、貿易を強く望むようになったのは、慶長16(1611)年に現在の三陸地方を襲った地震と大津波によるところが大きい。この地震と大津波で、伊達領内では数千人が命を落とした。当時、伊達領内の領民は5万2千人ほどであったから、被害がどれほど甚大であったかわかるであろう?海外交易による利益を復興のために充て、また、渡航船作りを、船を失った沿岸住民のための復興事業にという思いもあったのじゃ。

 

伊達政宗

支倉常長さて、この使節団の重要人物となるのが、スペイン人のセバスチャン・ビスカイノとルイス・ソテロじゃ。ビスカイノはメキシコ副王の大使として来日したが、もともと探検家でな。日本近くにあるという「金銀島」を探す目的もあり、幕府の許可を得て日本沿岸の測量をっておった。不思議なご縁か、政宗公とは江戸の街中でたまたま知り合い、意気投合したようじゃ。ちなみにこのビスカイノ、奥州仙台にも測量にやってきたのじゃが、その際に伊達領内にてこの慶長の大津波にも遭遇しておる。

一方、ソテロはフランシスコ会の宣教師じゃ。日本語が堪能なためにビスカイノの通訳をするなどで政宗公ともお近づきになったらしい。当時の日本では、キリスト教の中でもイエズス会というのが主流でな。フランシスコ・ザビエルらが創設したと言えばわかるじゃろう?ソテロは、フランシスコ会を日本で広めたいという強い思いがあり、政宗公に強く海外渡航を勧めたと言われておる。慶長遣欧使節では、正使として、拙者とともに渡航をいたした。

実はこの慶長遣欧使節に先立ち、ビスカイノや拙者は、徳川幕府のメキシコ派遣船「サン・セバスティアン号」に乗船しておったのじゃ。しかし、この船は出航直後に難破してしまい、渡航が叶わなかった。そのため、政宗公は幕府の許可のもと、ご自身の仙台藩にて造船し、御自ら使節を派遣されることにしたのだ。

もしこの船が無事に渡航できておったら、慶長遣欧使節はなかったかもしれぬ。また、後に話すが、慶長遣欧使節が成功しておったら、仙台藩は当時の西国大名のように、琉球(※)や朝鮮との外交権を得て、盛んに交易しておったかもしれぬ。 歴史に「もし」はありえぬが、色々思いを巡らせると、なんとも感慨深いのう…。

現在の沖縄県地方

【Do not shrink from difficulties.】 支倉常長と使節団。7年間の渡航の末にー

支倉常長

Tsunenaga HASEKURA(支倉常長)

Tsunenaga HASEKURA was the leader of the Keicho-era mission to Europe,which had about 180 members. He traveled through lots of ports to meet King Philip III and Pope Paul V. During his stay in Rome, he was given Roman citizenship and joined the Roman aristocracy. Though he struggled to achieve the aim of the mission, he failed at getting permission to trade. He came back to Japan in 1620, seven years after his departure.

  • King Philip III and Pope Paul V ⇒(スペイン)国王フェリペ3世とローマ教皇パウロ5世
  • Roman citizenship ⇒ローマ市民としての権利
  • Roman aristocracy ⇒ローマ貴族※ローマ市議会が支倉常長に与えた「ローマ市公民権証書」(実物が仙台市博物館にあります)には、常長に市民権を与えることや、貴族にすることが書かれています。
  • struggle(d) to~ ⇒~のために奮闘する(奮闘した)
  • fail(ed)at getting permission to~ ⇒~の同意を得る

 

伊達政宗支倉六右衛門常長は、古くからわしの側近くに仕えておった家臣じゃ。身分はさほど高くないが、わしの初めての上洛や、小田原参陣、朝鮮出兵など、重要な局面ではつねに供をしておった。勤勉で誠実、わしの願いをしっかりと理解し、命をかけてでも遂する。そんな常長の性質を見込んでの人選であったかもしれんな。

使節の道程は、大変な苦労の連続であったと思う。当時の日本では徳川幕府がキリシタンへの厳しい迫害をっており、ヨーロッパにもその情報が伝わっておったのだ。そのような国との交易はおろか、宣教師派遣というのは非常に難しい話であろう。常長はそれでも実に粘り強く交渉を続けたという。渡航先の国々にも、堂々として立派な人物であるという記載が残されておるくらいである。常長は、宣教師派遣を要請するにしてもローマ教皇に謁見するにしても洗礼を受けていないと相手にもしてもらえないとなると、自らキリスト教徒の洗礼も受けた。「ドン・フィリッポ・フランシスコ・ファシクラ・ロクエモン」というのが洗礼名じゃ。

だが結局、交渉は不首尾に終わり、常長はフィリピンに滞在したのち帰国いたした。元和6(1620)年、日本を発って実に7年…ほんに長い歳月が経っておった。

 

支倉常長

伊達武将隊の支倉常長様は、いつもお手製の絵巻物を使って慶長遣欧使節の話をわかりやすくお話ししてくれます。

 

支倉常長おまけに、帰国時に徳川幕府によりキリシタン禁教令が発令されておってな。拙者自身の存在もだが、海外から持ち帰った多くの品々は、キリスト教の嫌疑をかけられるためにに出すこともできなくなってしまった。

だが、その貴重な品々や体験は、代々守り、伝えられ続け、「慶長遣欧使節関係資料」として、平成13(2001)年には国宝に、そして平成25(2013)年には、ユネスコの「世界の記憶」に登録されたのじゃ。この2013年は、拙者が出航してちょうど400年目の記念すべき年である。政宗公の偉大な事業が世界的に認められるとは、これほど嬉しいことはないわ!

ところで、拙者の銅像は世界に7か所もあるぞ。仙台市をはじめ宮城県内に3ヶ所、海外はメキシコ、スペイン、イタリア、キューバにそれぞれ1ヶ所ずつじゃ。また、墓と言われる場所も宮城県内に複数存在しておる。これは、拙者の長き旅に思いをはせ、今でも大事にしてくださる方々がおることのれではないだろうか。

 

【Keep fighting!】 政宗公と仙台藩の夢を運んだサン・ファン・バウティスタ号

サン・ファン・バウティスタ号

写真提供:宮城県観光課

Sant Juan Bautista and MIYAGI Sant Juan Bautista Museum(サン・ファン・バウティスタ号と宮城慶長使節船ミュージアム)

Sant Juan Bautista, meaning St. John the Baptist, is the name of the ship built by the Sendai clan to use for the Keicho-era mission to Europe. It was the first European-style galleon ship in Japan. Now you can see a wonderful replica of it in Ishinomaki. In addition, there is a museum near the ship. You can see interesting displays and learn about the Keicho-era mission to Europe.

  • St. John the Baptist ⇒洗礼者聖ヨハネ。『新約聖書』に登場する預言者で、イエスに洗礼(バプテスマ)を授けました。
  • the first European-style galleon ship in Japan ⇒日本で初のヨーロッパスタイルのガレオン船
  • replica ⇒複製品。日本語でも「レプリカ」とそのままでよく使われています。

 

伊達政宗このサン・ファン・バウティスタ号は、徳川幕府の許可のもと、ビスカイノや徳川幕府から派遣された船手奉の指導・協力を得て建造いたした。造船に必要な材木は当時の伊達領内から調達し、数千人の大工や鍛冶の手により完成させたのじゃ。もちろん当時の船は現存しておらぬが、復元された船が石巻市郊外の「宮城慶長使節船ミュージアム」に係留されておるぞ。全長約55メートル、高さ約48メートルと非常に大きく立派なものじゃ。おそらく、おぬしの想像をはるかに超えた大きさであろう。復元に携わった者たちも、これほど大きな船は見たことがないと驚いたと言うぞ。それほどの船を400年以上も前に作り、実際に数百人を乗せて航海にも成功したというのは、さすが仙台藩であろう!?

 

サン・ファン・バウティスタ号

写真提供:宮城県観光課

支倉常長この復元船は、東日本大震災の際に係留場が被災したものの、船体自身は10メートル超の津波にも耐え抜いた。その雄姿は被災した多くの方々の力になったと聞いておる。現在、老朽化などで乗船はできぬが、隣接するミュージアムにて、サン・ファン・バウティスタ号や使節について深く知ることができるようになっておるので、ぜひ一度、訪れてみていただきたい。

【We must become a light for the people.】 英語演武「SHINONOME」。そして、ともに前へ

伊達武将隊

伊達政宗東日本大震災の後、我ら伊達武将隊は、慶長遣欧使節を題材に「東雲(しののめ)」という演武を作った。その後、旅や震災関連で仙台・宮城を訪れる海外のお客人が増えたため、英語版の「SHINONOME(※)」も作成いたしたのじゃ。我らの思いを我ら自身の言葉で伝えるため、全編英語の台詞も伊達武将隊の皆で考え、作り上げた。 「どんな困難に遭っても、前を見据え、歩み、戦い続ける。それが伊達魂じゃ。我らは、人々を照らし、道しるべとなる光にならねばならぬ。そして、我が仙台を東洋と西洋をつなぐ架け橋にするのじゃ。」…そのような思いをこめておる。 表現や言葉は違うが、日本語版を披露する際と、臨む姿勢は変わらぬ。英語版であろうと、武士らしさを忘れず、伝えるべきことを伝えられるよう、言葉を大切にしておるつもりじゃ。

支倉常長この演武は、拙者、支倉常長や慶長遣欧使節を知らないお客人にとって、それらを知る入口になるものだと思うておる。実際この演武を披露した後、多くのお客人から「その後はどうなったのか?」と質問されることも多い。また、復元されたサン・ファン・バウティスタ号を背に演武をした際は、非常に多くのお客人が集い、感激した面持ちで熱心に見てくれた。心に響くものがあったのならば、本当に嬉しい限りだのう!

伊達政宗東日本大震災がなければ、この演武はなかったかもしれぬし、全く違う内容になっていたかもしれぬ。この演武には、復興や、我らが日々おもてなしをしておる気持ちなどをより込めておる。…もちろんそれぞれの演武にそれぞれの思いがあるがな。

 

※今回の「サムライENGLISH」の英語タイトル(【This is Date’s samurai spirit.】【We(原文は「I」) will make Sendai a bridge between East and West.】【Do not shrink from difficulties.】【Keep fighting!】【We (原文は「I」)must become a light for the people.】 )は、すべて「SHINONOME」の台詞から引用しています。

 

伊達政宗

今と違い、情報ひとつ届くのにも時間がかかる時代。政宗公は、一体どんな思いで使節の帰りを待っていらしたのでしょうか。

支倉常長この慶長遣欧使節については、他にもいろいろな話がござる。使節にく前の話、慶長の大津波の話、帰国した後の支倉家の話などなど…ここでは語りきれぬので、興味のあるおぬしは、ぜひ仙台城跡で拙者に直接聞いてくだされ。いつでも待っておるぞ!

サン・ファン・バウティスタ号

写真提供:宮城県観光課

参考サイト

 

次回予告

更新日:11月16日(水)
担当:伊達武将隊オールメンバー
テーマ:まるでイルミネーションの銀河!「光のページェント」を楽しもう♪

奥州仙台おもてなし集団・伊達武将隊

奥州仙台おもてなし集団・伊達武将隊(The Oshu Sendai Welcome Squad Date Busho-tai)

杜の都・仙台の魅力を広めるため、 仙台藩祖である伊達政宗公と家臣団などで結成。 仙台城跡を拠点に、日本国内から海外まで、仙台をPRするために日夜出陣中。 最新情報は公式サイトやTwitterにて随時配信。また、週2回の英語更新があるFacebookや、今すぐ仙台にきたくなる美麗なInstagramも要チェック!

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理桜

企画・構成:理桜
ご先祖は東北武士。今は東京女子。GOTCHA!プランナー